One Rose

FAP療法メソッド「心に聞く」を練習しつつ、英語学習についてなど。(ほぼ元)オタク。2015年2月~2016年9月に欧米留学。TOEIC880点所持。noteでも書いたり模索中。

催眠ガール

あきです。

催眠ガールの読後の余韻が心地よく落ち着いてきたので書きに来ました。
いろいろあるんですけど、思い浮かんだのは「すべての物語はスクリプトなのでは?」ということ。

私はオタクなので、「物語」とか「キャラ」に対する思い入れや愛着が、たぶん一般の人より強くなっちゃうんですよね。
このお話いいよね、これがこうなるの良いよね、愛しい…みたいな。
ホモ・サピエンス全史」でも、「虚構を生み出し、それを信じる認知改革を経たから、ホモ・サピエンスはここまで繁栄した」っていう記述がありましたが、やっぱり物語(虚構)が持つ力ってすごく強いんだと思います。
意識はしてないけど、それによって癒やされたり、気力を得たりしているわけですよね。
ここの「物語(虚構)」はニアリーイコール「スクリプト」だとも考えられるわけで。
とにかく、物語にのめりこんでしまうオタクの私には、催眠ガールはすごーく自然に水みたいに入ってきて、色々な場面と感情を中に植え付けて行ってしまった。そんな感じ。
そしてまた本をめくらずにいられない。

平凡

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あきです。

このところの大嶋先生のブログの「〇〇を許します」、私の場合は「平凡を許します」でした。
物心ついたときから、どこかで「自分はどこか変わってないといけない!」「優れてないといけない!」と感じていた部分がありました。
でもその割に、本当に自分より優れた人に遭遇すると、途端にやる気がなくなったり、無価値観に襲われるという…どうしようもない!
感覚を確認すると、自分でもそう思っていたし、親から入れられていた感じもあるし…。

それが、「平凡を許します」と思うと、その考えが霧散して消えてしまうような感覚がします。
別にみんなと同じでいい、というか…変わっていようとしていなくたって、そんな個性なんてものは否が応でも滲み出てしまうから、そんなに肩肘張って自分から演出しなくてもいいのかなって。
それよりも、言うように「美しさ」を感じていけたらなーって気持ちになります。

心に聞くとき、邪魔を取るイメージは相変わらずおたくです。
こうしてから格段に心に頼る機会が増えました。
何事も自分にあったことが一番ってことかな?

いいのかこれで…

あきです。

いろいろ環境の変化が巻き起こったんですけど、元気に過ごしてました。
気分が落ちてしまうときもありましたが!

最近笑っちゃうのは、心に邪魔を取ってもらうときに浮かぶイメージが、完全にオタク仕様になってしまった…
「これでいいのか?!」と思いつつ、心に聞くと「だってこういうほうがイメージしやすいし、好きでしょ」と言われてぐうの音も出ない。
自分の資質には逆らえません、流れに身を任せます笑

いつしか見えてくる

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あきです。

私がやりやすい心の聞き方は、メモアプリに書き込んでいくこと。
「心よ、〜」と書いたあとに改行して、心の言ったことをメモしていく感じです。
やってる途中は「ほんまかよ〜」って思ってることも多々なんですが、後から見返すと意外といいこと言ってたり、気が楽になるような考えをくれてるなーって思うことが多い!
考えないで、ぼーっとなんとなく書き留めていってるのがいいのかも。

あと、最近先生がブログで言ってる「知能指数ジオラマ」もすごく良いと思います。
必然的に心に聞く回数が増えて、信頼感が増していく気がします!
最初はやっぱり「ほんまかよ〜」って、それが合ってるか間違ってるかどうにかして答え合わせしたい!って思っちゃうんですが、数をこなしていくうちにどうでも良くなってくるんですよね。

異文化コミュニケーション

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あきです。

大嶋先生のブログに、英会話の話題が出ててとても嬉しい〜!!
そうなんですよね、私も留学して英語勉強してましたが、英語でコミュニケーションするとすごく気楽なんですよね。
もちろん、言葉が出てこないとかリスニングできないとか、違ったジレンマはあるんですが。
日本で気になっちゃうのが、海外では気にならない性格になったりするっていうのは、脳のネットワークが関係してるのかなとも思ったりするんですが。
そのへんもいつか書きたいな。語学大好き。

ちょっと話は違うんですが、嵐が2年後に活動休止してしまいますね。
私もFC入ってコンサートも行って、冠番組や出演番組をずっと追いかける……という生活を8年近くやってきたので、知ったときはびっくりしました。
変な話、知った当日より、今のほうがだんだん喪失感がじわじわ来てる笑
日が経って、昔の映像を見かけるたびに「当たり前に思っていたこの光景が見られなくなるのか…」という感慨がじわじわと…。

でもそれにしても、なんでこんなにあの関係性に惹かれるんだろう?魅力的に見えるんだろう?ってふと思います。
FAP的に言えば、あれが「リスペクト」だったり「一体感」なのかな?って。

会見で私が一番印象的だったのは、「一旦終えたいという思いを聞いたとき、「そんなバカなことあり得ないわ」って言う人は誰もいなかった」ってとこでした。
すごくないですか。
それは長い付き合いだから、っていうことで受け止められちゃってるかもしれないんですが、すごくないですか。
人間、自分と違った意見を冷静に受け止めることがどれだけ難しいか!
しかも確実に自分にも関与してくることで、影響も大きくて、言い出した本人自身なかなか言い出せなくて。
なのにそれを否定しない。受け止めた上で自分の意見は表現する。
「反対でなく相談」って素敵ですよね。
もちろん、外への発信だけを見てのことなので、内実ちょっと違うところもあるかもしれないんですが。
それでも彼らが放つものからは、そういうものを確かに感じましたし、純粋にすごいなと、魅力的で眩しいなと感じました。
もしかしたら彼らは、異文化コミュニケーションの手練なのかもしれない。

いろんなことに対して、「そんなバカなことあり得ないわ」って、実は心の中で思っちゃってることが多かったです。私は。
FAPの「異文化」って捉え方が、今の私は好きです。
すごく腑に落ちます。
3つのタイプにしろ知能指数にしろ文化にしろ、「みんな同じ」であろうとするのはしんどい!んですよね。
「同じで平等」だから、自分と違う文化に一言言ってやりたくなる。
でもそこを転換して、見え方を変えていくと、なぜか逆に一体感を感じられるようになる。
何が正しくて何が間違ってるかという判断が弱まってくる。
不思議だなー。

淡々

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あきです。

FAPですごい楽だなーって気づいたのは、「幸せ」がゴールでないところ。
出てくるワードは「一体感」や「凪の世界」で、私の知る範囲で大嶋先生は「これで幸せになります」「幸せになりましょう」みたいなことを言ってないと思います。

最近たまたま知ったんですけど、「幸せ」というものは、求めたら逆に感じられなくなるものらしい。
あくまで、何かの副産物として、「幸せ」はやってくるものらしい。
そこが分かって、あー!って腑に落ちました。

ポジティブで楽しい感情だけが幸せじゃないですよね。
むしろ、そんなの無理だし!って今なら思います。
だってネガティブな感情っていうのは、相手から飛んできたり、逆に嫉妬で破壊的な人格にさせられたりするものですよね。
ずーっとふわふわいい気分なんて、ちょっとアンナチュラルかも。

私は去年、長年一緒にいた愛犬を亡くしました。
本当に辛かったし、今まで生きてきて物心ついた中では一番悲しかった。
これだけ切り取ったら不幸としか言えないですけど、でも家族といっぱい泣いたし、大変なときにたくさんの人が助けてくれたり声をかけてくれたり、これまでペットを亡くした経験のある人がすごく親身に話を聞いてくれたり。
助けられたぶん、次に誰かが同じ思いをしているときには優しくしたいと思うようになりました。
悲しかったけど、楽しい思い出はずっとあるし、この経験でちょっと成長させてもらえたなって思うと、すごい、なんか、満たされるような気持ちになります。
これが本来の幸せなのかも。

「凪の世界」で淡々と生きるっていうのは、イメージですけど、人生やっぱり上がったり下がったりするんですよね。
人の感情や発作も飛んでくるし(もちろん自分も)
そのときに淡々と凪でいながら対応できる。
そんな感じです。

今年も書きます

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あきです。

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年もいっぱいいろんなことを体験したいなと思います。

去年思い立って始めたブログですが、なかなか楽しいです!
実は、定期的に自分のブログがなんだか気恥ずかしくなる周期があって、飛び飛びだったりするんですが、忘れ始めた頃に読み返してみると「自分なかなか良さげなこと言ってるじゃん」って捨てたもんじゃない感がある笑
気恥ずかしいっていうか、別に大したもんじゃないし…感かな?
思い立ったときに書きためるくらいの気持ちで続けていこうと思います。

このところなんとなく心に浮かぶイメージが、モザイク画みたいな絵。
いろんな色合いの素材を組み合わせて、遠くから引いたときにひとつの大きな絵になってるアートがありますよね?あれです。
同時に感じるのが、「変わってない人なんかいない」「変わってる人なんていない」という言葉が両立している感覚。
この変わってるっていうのは、いわゆる「個性的かどうか」の意味です。
自分が今まで、個性とか変わってるってことにこだわって生きてきたからなのか、最近やたらとこれが思い浮かびます。

「変わってる」って概念があるのに対し、「じゃあ変わってない人って何?」と逆を思います。
個性のない人間なんて一人もいないと思います。青だったり赤だったり、みんな色合いがあります。ミクロで見たらてんやわんやの様相かも。「変わってない人なんかいない」ということです。
でも、引いてマクロで見ると、それが1枚のきれいな絵になっている気がするんです。
老いも若きも、男も女も、外交的な人も内向的な人も、どんな考えの人も、心に傷を負った人もそうでない人も、みんな一枚の絵として調和している。その一枚絵を大きく乱すような「変わってる人なんかいない」です。
そういうイメージが見えて、なんか落ち着きます。
この一枚絵が一体感なのかなぁ。

で、見返したらナギズムさんのブログに記事がありました!
https://liberesta.com/nagism/2018/09/02/ittaikanntoorijinal/
代表さんのブログで心に聞く練習をして、ワークショップやイベントに参加させてもらったので、この度の運営停止はとても寂しいです。
特にワークショップは本当にありがたくて、今でも心に聞くをしつこく実践できてるのは、リベレスタさんのコラムとワークショップのおかげです。
ありがとうございました。
またどこかでお目にかかれるといいなぁ。