One Rose

FAP療法メソッド「心に聞く」を練習しつつ、英語学習についてなど。(ほぼ元)オタク。2015年2月~2016年9月に欧米留学。TOEIC880点所持。noteでも書いたり模索中。

孤独が一体感になる

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あきです。

最近心に聞いてるときにやっているのが、スマホアプリでメモしながら聞くこと。
質問も、心からの答えも簡単な言葉で残していきます。
ぼけーっとしながら「こういうことしたらいいかな?」と打っていくと、なんとなく答えも捉えやすい感じがする。

それとは別に、昨日心に聞いて印象的だったのが、「孤独な人が集まったら孤独じゃない」という答え。
この前発売された、大嶋先生の新刊(新書の本)を読みながらだったんですけど。
自分ばっかり「孤独!」と思うから、店員さんに因縁をつけてしまったり、人から舐められてる!と必要以上に攻撃的になってしまったりする。
でも、「孤独」を感じない人なんていないんですよね。そう考えると途端に「孤独」は「一体感」になる。

今回の新刊、薄くて持ち運びやすいのに、内容はさらに濃くてお気に入りです!

孤独、嫉妬、一体感。
私の最近のキーワードです。

脱・受動オタク

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あきです。

FAP療法を始めて1年半。
その中で起こった変化で、最近自覚してきたのが、
オタクじゃなくなってきたこと。

学生時代から、私は重度のオタクでした。
ずっと絵を描いたりゲームをしたりネットをしたり二次創作したり。
オタクの人とじゃないと親しくなれないし、一対一で出かけるとか無理!って強く思い込んでました。
逆に、相手もオタクと分かると「本当の自分を見せられる!」と一気に距離を縮めてしまって、後々合わなくなってきて後悔したりすることも。
(もちろん付き合いの続いている人もぃます)

オタクコンテンツを追いかけるのが幸せだったし、最近はSNSが普及したこともあって、何が流行ってるか・ウケてるのか知ることがすごく簡単になりましたね。

それが療法を始めてしばらくして、だんだん興味が薄れてきたんですよね。
薄れたというか、「普通」のエリアになって来た感じ。
好きなアニメは見るけど、流行りとかは別に知らなくていいやとか。
見るけど特別「推し!好き!!」みたいな強い感情じゃなく、「あー面白いな〜」って難しいことを考えず、娯楽のひとつとして見られるようになってきました。

オタクの人としか付き合えない!と思ってたのが、環境が変わったりして、気づいたらいろんな人と関われるようになってました。
前だったら誘われても緊張してたような人たちと、気軽に出かけられたりとか。

気づいたときはちょっと動揺しました。私がオタク興味なくなっちゃったらどうなるの?!「普通のつまらない人」になってしまうんでは?!って。
これこそ思い込みですよね。

もちろん、好きなものは好きなんです。
趣味で創作することも楽しいし。
でも、そこに自己価値を見出そうとすることや、「何が流行ってるんだろう?」「いま何がウケてるんだろう?」ってだらだらネットを見る受動オタクは止めました。
情報は取捨選択。

ちょっと今までが重度だったので今さらかもしれないんですが笑、確かに感じた変化ということで書いてみました。

分かってるのに動けない

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あきです。

癒やしたいこと、見つけました。

「メール・LINEの返信がめちゃくちゃ遅い」こと。

早いときはめちゃめちゃ早いんです。というか、スマホは割と触ってるので通知自体は気づくんです。
でも、それから後回しにして忘れちゃったり、億劫だな〜と思っているうちに時間が経っちゃったりしちゃうんですよね。
自覚はあるので、周期的に「早くしなきゃ!」というモードでいると早めに返せるんですが、それが習慣化しない。
他に熱中してることとか、めちゃめちゃ落ち込んだりすると、ついつい後回しに……。
日中分を夜にまとめて読んで返そう、っていうのは何となくあるんですが、気分によってはそれさえ出来ないときも。
一週間、ひどいときは一ヶ月後とか、出しづらくなって返信しないとかもあります。

長く続いてる友だちや家族だと、だいだい同じペースだったり、許してもらえてる感はある。けどやっぱり、最近知り合った人とかだと印象良くないだろうなーと思いつつ…。

返信するということに対して、もったいぶってるとか、楽しみは後に取っておこう的な感覚はあるかも?
早く返信したほうが相手も嬉しいし都合が良いっていうのは分かってるんだけども。
あとは、母がマメで返信早いので、その辺りのコンプレックスもあるのかもしれないです。

ネットで同じ悩みを検索すると、だいたい「人を舐めてる」「誠実さに欠ける」「社会人として失格」という言葉が並んでるので、一般的には間違いなくそうだよなーって自分でも思います笑
でも理屈じゃないんですよね。
よく聞く、「分かってる」けど、動けない状態。
考え込まずにぱって返信できるようになりたい。

久しぶりにセッションの予約が取れたので、このことを聞こーっと。

からっぽ

あきです。

お話を書くのと並行して、世の文章作法的な記事を読んでました。
主語の数は少なく、最初の一文で行動全体を描写して次文で修飾とか、意外と日常生活や仕事で使えるスキルだな〜ってちょっと驚きです。
後で接続語を削っていくのも爽快で楽しい。

今朝、喫茶店で心に聞いてたらイメージが浮かんできました。
朝の満員電車が激混みで若干イライラしていて、脳のネットワーク的には他のお客さんのイライラが飛んできてたのもあると思うんですが、それにしてもいちいち排除してもらうのも面倒だなーこんなことでイライラしたくないのにーっていう混沌の中にいました。

そこで聞いていて浮かんだイメージが、前に読んだ本「空(くう)」の内容。
端的に書くと、「私たちの中身は本来空っぽで、何もない。外の事象に触れたときに感情が反応として出るだけで、本当は空」というものなんですけど、この世界観は大嶋心理学と通じるものがあるなーと。
喜怒哀楽も、外から飛んで来て、たまたまくっついたものでしかない。
怒りを感じたときに、「こんなことでイライラするなんて、私って器が狭いな……」なんて落ち込む必要はなくて、「あ、今反応してる」って気づくだけ、あとは味わい尽くして手放すなり、心に取ってもらうなり、自分に向いた方法で対応すればいいんだなーって感じました。

前は、ネガティブな感情を感じるたびに自己卑下の感覚が止まらなかったんですが、最近は無くなってきたかな?
楽にいきたーい

言葉にする

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あきです。

ブログを書き始めたら、つられて何故だか小話が書きたくなり、そっちに夢中でした。
二次創作だけど。
今までずっと絵やマンガは書いて発表してたんですけと、文章はしたことがなくて。
試しに2年前くらいにスマホに書いてた文章見返したら、記憶以上にうまいこと言ってたので笑、心に聞きながら書いてまーす。
自分の心内にしろフィクションにしろ、文章にするって楽しいですよね。ある意味快感笑

数日前は、リベレスタさんのイベントに行ってきました!
「心に聞く講座」に行ったときも思ったんですけど、普段大嶋心理学や「心に聞く」を実践してる人と会う機会ってなかなかないので、とっても刺激的でした。
同じ質問をみんなで心に聞いてみたり、これまでFAP療法で感じた変化を聞いたり……。
個人的には、良さげな遺伝子コードまで教えていただいてありがたや〜でした! このところ遺伝子コードはしてなかったのでやろうっと。
素敵な機会に感謝です!

ごはんまかせ

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あきです。

もう何でも無意識にまかせてしまえー! ということで、このところは晩ご飯もおまかせしてます。
しばらくずっと予算的な理由で、冷凍ごはん&作り置き1~2品&スーパーで買った揚げ物(すごく安い)で過ごしていて、そのローテーションでずっといければ良かったんですけど、ある時から「やさしいもの」という答えなので、温かいものや量を少なめにしています。

そうすると不思議と、そういえば最近お腹の調子が悪かったんだった、とか思い出すんですよね。

もっと心と仲良くなりたい!

 

変化①:変わってなくていい

f:id:kokoaki:20180906220304j:plainあきです。

FAP療法に出会って1年と3ヶ月。
はじめは明らかな変化というものは感じなかったんですが、最近になって「そういえばこのところ気にならないな」ということがちらほらあります。

そのひとつが「個性的や変わってると言われる存在であること」だったなーというのを、Nagismさん(メディアにさん付けするのは適切なんだろうか…)のこの記事を見て思い出しました。

liberesta.com

昔からどちらかというと、普通にしてても「変わってるね」「個性的」って言われやすい方でした。
何をどうしたからといった具体的な場面はそんなに出てこないんですけど。
そして面倒なことに、「変わってる」って言われると、それとなく傷つくと同時に、それをすごく拠り所にしてるっていう、メビウスの輪みたいな精神構造でした。

だから、「私ってよく変わってるって言われるの、この前も人からこう言われちゃって」って自分から言い出すような人にものすごくザワザワしてました。
自分のほうが個性的!とか、本当に変わっている人は自分からそんなこと言わないでしょ!って思ったりとか。
その反面、他人のあら捜しをしているような自分が嫌でした。
うーん改めて文字にするとあほらしいんですけど、本当に思ってたんですよね。

大嶋先生の「孤独の発作」を知っている今なら、すごく見えるんです!
どこかの拍子に「変わってる私が魅力的なんだ、優れているんだ」と思い込まされつつ、本能的に「孤独」で発作を起こして破壊的な人格になっていたという図が。

FAPカウンセリングを受け始めたときに、カウンセラーの方に「発作を起こし続けるのだって有りではあります」と言われたのを思い出します。発作を起こしている人、起こさせる人っていうのは、周りからしたらすごく輝いて魅力的に見えるから。

そのとき瞬間的に、「ここを治療したら、私は楽になれるかもしれないけど、でも『変わってる私』じゃなくなってしまうのは嫌かも…」と思ってしまった自分がいました。

それから治療が進んでいって、別にそこを明確にゴールとしてやったわけじゃないんですけど、いつの間にかそこにそんなこだわりを感じなくなってきてました。

心に聞いているうちに、なんとなく浮かんできたのが「変わってない人なんていないなぁ」ということ。

はじめは「一体感」という言葉もそんなに響きませんでした。
「そんなのつまらない!」という気持ちもありました。
なのに今は「あるある、一体感いいよね~」って感じられるんですよね。
うーん不思議。

今は、自分から変わってるアピールをする人は、罪悪感なく華麗にスルー! してます。