変化①:変わってなくていい
あきです。
FAP療法に出会って1年と3ヶ月。
はじめは明らかな変化というものは感じなかったんですが、最近になって「そういえばこのところ気にならないな」ということがちらほらあります。
そのひとつが「個性的や変わってると言われる存在であること」だったなーというのを、Nagismさん(メディアにさん付けするのは適切なんだろうか…)のこの記事を見て思い出しました。
昔からどちらかというと、普通にしてても「変わってるね」「個性的」って言われやすい方でした。
何をどうしたからといった具体的な場面はそんなに出てこないんですけど。
そして面倒なことに、「変わってる」って言われると、それとなく傷つくと同時に、それをすごく拠り所にしてるっていう、メビウスの輪みたいな精神構造でした。
だから、「私ってよく変わってるって言われるの、この前も人からこう言われちゃって」って自分から言い出すような人にものすごくザワザワしてました。
自分のほうが個性的!とか、本当に変わっている人は自分からそんなこと言わないでしょ!って思ったりとか。
その反面、他人のあら捜しをしているような自分が嫌でした。
うーん改めて文字にするとあほらしいんですけど、本当に思ってたんですよね。
大嶋先生の「孤独の発作」を知っている今なら、すごく見えるんです!
どこかの拍子に「変わってる私が魅力的なんだ、優れているんだ」と思い込まされつつ、本能的に「孤独」で発作を起こして破壊的な人格になっていたという図が。
FAPカウンセリングを受け始めたときに、カウンセラーの方に「発作を起こし続けるのだって有りではあります」と言われたのを思い出します。発作を起こしている人、起こさせる人っていうのは、周りからしたらすごく輝いて魅力的に見えるから。
そのとき瞬間的に、「ここを治療したら、私は楽になれるかもしれないけど、でも『変わってる私』じゃなくなってしまうのは嫌かも…」と思ってしまった自分がいました。
それから治療が進んでいって、別にそこを明確にゴールとしてやったわけじゃないんですけど、いつの間にかそこにそんなこだわりを感じなくなってきてました。
心に聞いているうちに、なんとなく浮かんできたのが「変わってない人なんていないなぁ」ということ。
はじめは「一体感」という言葉もそんなに響きませんでした。
「そんなのつまらない!」という気持ちもありました。
なのに今は「あるある、一体感いいよね~」って感じられるんですよね。
うーん不思議。
今は、自分から変わってるアピールをする人は、罪悪感なく華麗にスルー! してます。