One Rose

FAP療法メソッド「心に聞く」を練習しつつ、英語学習についてなど。(ほぼ元)オタク。2015年2月~2016年9月に欧米留学。TOEIC880点所持。noteでも書いたり模索中。

覚えておきたいこと

あきです。

ちょっとFAPや心に聞くとは違うんですが、よくメンタリストDaiGoさんの動画を見るものの、大事な部分が抜け落ちちゃうので自分なりにメモ…

・「モノ」より「体験」にお金を支払う
・自分のクロノタイプを知り、それに合ったライフスタイルにする
・functional psychopathになる、自分の感情を観察する
・predictableな人間になる
・hedoic adaptationに注意を払う
・瞑想20分で集中力が上がる
国債やインデックスファンド

心に聞きまくってる状態は瞑想の状態に近しくて異なるものなのかな?
すごい眠たくなる……。この前のセミナーでも言われてたけど。

違うルートでもいい

あきです。

最近知ったんですけど、遺伝子コードって目を開きながら唱えるものだったんですね…!
どっちでもいいような気がして、今まで目を閉じてやってたところ(心に聞くとごっちゃになってたのかもしれない)、知らなかったー!って思って目を開けるようにしてるんですが、
なぜか目が閉じてしまう……。
なぜなんだ!でもこれからもっと効く可能性があるってことだよね?!よーしやろう。
最近はコムトとホクサワンをよく唱えます。

数日前のことなんですが。
「○○○○の法則」とか「100%○○○○説」とか、いわゆる願望成就?メソッド本をよく読んでいた自分。
天使系とかも興味あったなー(オタクだからね)
それを今ふと思い出して、そういった人たちのブログを読んでみたんです。

そうしたら、昔の私にはどうひっくり返ってもできなかった「人をジャッジしないようにしよう」系の言葉を見て、あ!なんか心が面白い反応してる!って感じたんですよね。

昔はこういう言葉に、すごい同意すると同時に、それでも出来ない自分に対する怒りとか自己嫌悪とか、そう言ってのける所謂グル的な立場の人たちへの嫉妬とか、そういう葛藤を感じてました。当時はそこまで分析しきれてなかったけれど。

でも今は、それってつまり無意識の世界ってことなのかな?そうだったら繋がってて面白いなー(あくまで推論に留める)と思えるんですよね。
と同時に、「人をジャッジしないで!」ってすごい意識に働きかけてる表現ですよね。だから昔の私はそれに反発してたのかなとも思う。
「人をジャッジしない」の概念には、馴染みがあるんだけど、その言葉自体にとてもザラザラしたものを感じるような、そんな面白い感覚になりました。
到達点は親しいものがあるんだけれど、そこに色んなルートがあるんだな〜って。

しばらくぶりにそういう系統の思想に触れてしみじみ思ったのは、「愛のエネルギーを振りまく!」「愛した分だけ愛される私になる!」系は私には厳しすぎる!笑
考え過ぎで人の目を気にして自己肯定感が低かった人間には、そりゃ難しい。
人それぞれの最適ルートで自由になっていけば良いですね。

三叉路

あきです。

一ヶ月前にFAPのセミナー行ってからだいぶ経ちました。
その後に久しぶりのセッションも受けて、うーんこれからもっとどうしようかなあという気持ちでいっぱいです。
もっと突き抜けたいんだけど。
幸い、最近知り合う人たちになぜか向上心?自立心?が強い人たちが多くて、そこはありがたいです。
合う人には、向こうから会いましょうってお誘いもらったり。嬉しいです。
ううーん、心に聞いても、「不安に思ったら聞いて。そしてそれを実行して」っていう感じ。
どん底のときは「辛いよーなんとかしてー」って言ってるだけなんですけど…笑
職場で辛くなったら、もうイヤフォン突っ込んで音楽聞いちゃえ!とか。

自分ではよく分からないんですけど、でも最近、人に相談することは減った?かな?
前は母とかにすぐ言っちゃってたんですけど。今もそれはやっちゃうんですけど、なんかビリビリ来たら、「あ、いま支配されようとしてる!」って分かるようになったっていうか。
うちの母は全然悪意があるとか、威圧的とかではないんですけど、めちゃめちゃ支配上手いんです。
支配っていうか、カリスマ性があって、すごい完璧に見える。
肩書は普通の主婦なんですが。
仲良いし、大好きだし、これからも大好きでいたいんだけど、そのために、自分の自信とか自尊心とかやりたいこと、賭けてもいいものを見つけたいんだよなぁ。

繋がっているイメージ

あきです。

大嶋先生のブログにも、足裏の話題が出てましたね!
こっちは歩行中のイメージでしたけど。
たまたま偶然かもしれないけど、でも確かに脳のネットワークって繋がっているのかも……と思っちゃいます。

あと、私けっこう大嶋先生の著作のamazonレビュー読むの好きなんですけど、前どこかに誰かが「巨人が小人の国に迷い込んだ感じ、でもどこかで同じ思いをしている巨人たちがいるっていうのも感じる」って書き込みしていて、あーそれ私も出てきた!!!ってびっくりしたことがあります。

会社生活に馴染めなくて、周りはちゃんと自分の仕事をしているのに、私だけ全然至らないような感覚。あと単純に、内容に全然興味が持てなくて意欲がわかないんです。
「みんなある程度そうだよ〜」って声もあると思うんですけど、多分その比じゃないと思うんですよね。もう本当に。
こなそうこなそう感が異常に強い。

それが苦しくて心に聞いてたら、ガリバーと小人のイメージが出てきたんですよね。
小人の国で小人がチクチクやってるだけなんだから、気にしなくていい。
どこかで、巨人…というか、同じサイズの仲間がいて迎えてくれる、みたいなメッセージが。
それで数日間は(心の中でですよ!)めちゃめちゃ強気で過ごしてました笑
「小人たちがちっちゃいことやってるのね〜」「小人のことは小人にまかせよう〜」って。

うーん、やっぱり繋がっているのかもしれない。

身体に聞く

あきです。

このところ、理由もなく気分が下向くときがあります。
いや、理由はなんとなく想像がついているのですが…やっぱり他人の感情が飛んできてるというか。

それでしんどさ故に、心に「邪魔を取って!」「オリジナルの感情じゃなかったら返して」と聞いてお願いしまくっているんですが、その中でなんとなく出てきたのが「上じゃなくて下めに聞くようにしてみて」ということ。
今まで心に聞いているときは、何となく視線を上のほうに向けて聞いてたんですよね。
私がNLPで言う、視覚優位の傾向があるからかもしれないんですが。
でもふと、「頭ばっかり使おうとしないで。頭を冷やして」みたいな感じがしたんですよね。
心っていうと、頭の中にありそうなイメージがしますけど、身体にあっても不思議じゃない。
上へ上へ行くんじゃなくて、首より下に話しかける感じでやってみる。
加えて、私は休憩時間に外に出ないとやってらんない体質なので、歩きながらよく聞いてるんですが、その時の足裏の感覚とか感じてみたり。
そうすると、帯電していた電気が足裏を通して、地面に放電されていくイメージが湧いてくるんですよね。

無意識・意識って頭の中で展開されてるような気になりますけど、大嶋先生が言うように、心臓が脈打つのも無意識。
これからは身体にも注意を向けようと思います!

自分が思ってるより自分は優れている

あきです。

大嶋先生の新刊、すごくしっくりくる感じです! 嫉妬ってやっぱり大きいですよね。
なのに「こんな風に感じる私はダメだ」とか、「まだまだ修行しなきゃ」と思っちゃうから堂々巡りになる…。
やっぱりいい意味でテキトーに、外在化で生きるのが一番だな!と思いました。

ここ最近も、調子いいです。
気にしちゃうこともあるけれど、そんなに引きずらないというか…。
変化だなぁと思うのは、「この人、私を嫉妬(帯電)させてくる!」と思う人がサッと分かって心の中で距離を取れるようになってきたこと。
一見優しそうで良い人なんだけど、合間合間に謙遜にも似た自慢?のようなことを言ってきたりとか、
仕事のときは、普通に笑いも交えながら会話できるのに、すれ違うときの挨拶がちょう素っ気なかったりとか。
前だったら「良い人なのにこんな風に思うなんて私はダメだ!」とか、「もっと自分から距離を詰めなくちゃ!」と思ってたんですけど、今は嫉妬の発作や帯電のからくりが見えちゃってるので、わりと冷静に観察できてます。
あー嫉妬させられようとしてる〜とか、自分のやってることが分かってないんだな!とか。

最近の知能指数の話もスゴイですよね。
「なんであの人ってああいう事するんだろう?」って、今までいろんな場面で思ってました。
遺伝的に変えられない!は画期的だなぁ。
なんて傲慢な!という声も聞こえてくる気がするけれど、それは邪魔!として、実験としてしばらく続けてみます。

生真面目はやめよっ

f:id:kokoaki:20181008225015j:plain

あきです。

最近印象に残ったのは、ブリーフセラピーカウンセリングのブログ記事。

トラウマを負った人ほど、「心」を大事にしすぎて「形」を作るだけのことに抵抗があるという話題を見て、それだ!と思いました。

どんなときでも真心をこめないと駄目。

感謝を伝えるときは、100パーセントの感謝の気持ちを込めないと誠実でないような気がする。

60パーセントの気持ちで「ありがとう」を言うことができない、言う必要を感じない。

逆に、周りの人はこんなに感謝して、気持ちを伝えているのに、私はそれができない。自分は冷たい人間なのではないだろうか…と落ち込む。

このこと、すごく心当たりがあって、長い間ずっと悩んでいました。

悩んでいたと言うより、引っかかりに近いかも。

「普通の人」って、6、7割の感謝であっても、気軽にそれを言葉にするものなんですよね。ある意味では「適当」。形式でしかない。

私はずっとその感覚がわかりませんでした。というか、周りの人みんなも常に100パーセントの気持ちでその言葉を口にしていると思っていました笑

なので、「あの人はいつも人に感謝していたり気を配ったりして素晴らしいなあ…それに比べて私は…」と、できない自分を責めていた。

でも、意外とそうではないんですよね。

みんな、すごい適当に気軽に人と接している。発する全ての言葉に、全身全霊の真心や感情が込められているわけじゃない。

人と付き合うって、ぜんぶがぜんぶ真面目じゃなくて、もうちょっと気軽でいい。

逆に言えば、他人はみんながみんな自分の価値観でテキトーに言っているだけだから、それを真に受けすぎなくていい。

他にも、「人間の付き合い方は、1〜3階の建築構造のようなもの」という考えもすごく救いになりました。

少しずつだけど、こういうアイデアを知っていくだけでも、楽になりますね〜。